
そう話すのは、複業で越谷市のローカルストーリーメディア「KOSHIGAYAZINE(コシガヤジン)」を運営している青野祐治さんです。
もともと、地元の越谷があまり好きでなかった青野さんが、ローカルメディアを立ち上げたきっかけと、実際に運営してみての心境の変化、今後の展望などを話してもらいました。
ローカルストーリーメディア「KOSHIGAYAZINE」編集長。1987年越谷生まれ、越谷育ち。越谷西高→青山学院大学卒。 広告会社やフリーランス、スタートアップでWeb編集、スピーチライティング、PRなどを経験。 大の巨人ファン。
複業で越谷市の物語を届けるメディア「KOSHIGAYAZINE」を運営

――本日はよろしくお願いいたします。まずは青野さんの活動内容を教えてください。
青野祐治さん(以下、青野):普段は都内にあるスタートアップ企業でオウンドメディアのコンテンツ企画・編集といったコンテンツマーケティングの仕事をしながら、複業として埼玉県越谷市のローカルストーリーメディア「KOSHIGAYAZINE」の編集長をしています。
――越谷市のローカルストーリーメディアとは面白いですね。どんなメディアなんですか?
青野:KOSHIGAYAZINEは、「この街の物語を、もっと。」をコンセプトに埋もれている良いストーリーを届ける、ローカルストーリーメディアです。
コンテンツ内容は、主に越谷近郊で事業を営まれている方や、活動されている方のインタビュー記事が中心で、人・食・観光といった様々な側面から越谷のいろんな表情を発信しています。
――記事をいくつか拝見したのですが、越谷市にこんなすごい人たちがいるとは思っておらず、正直びっくりしました。
青野:そうなんです。灯台下暗しですよね。そういう魅力的な人達の話を深掘りして、ちゃんと届けるべきところに届けたいな思っています。越谷市って34万人くらいの人が住んでいるんですけど、自分の住んでいるところ・暮らしているところに興味を持ってもらいたいなと思っているんです。
また最近はメディアだけでなく、KOSHIGAYAZINEの活動をきっかけにつながった人たちとオフラインイベントやプロダクト開発にもチャレンジしていて、立体的に活動を行なっています。
母の死をきっかけに、越谷のことを何も知らないことに気づく
――KOSHIGAYAZINEに掲載している青野さんの自己紹介記事を拝見したのですが、元から越谷が大好き!ではなかったんですね。意外でした。
青野:僕は生まれも育ちも越谷、結婚した今も越谷に住んでいるんですけど、僕の両親は関西出身。親父は都内勤めで、ベッドタウンとして越谷に僕が生まれる前に引っ越してきたんですよ。だから僕、よそ者なんです(笑)
20代の頃は、あまり越谷のこと好きじゃなかったんです。都内に行くとダサイタマとか言われちゃいますしね(笑)むしろ、沖縄に住みたいと思ってた時期もあって移住ドラフトって会議にも参加したくらいでした。
――そうだったんですね。では、なぜKOSHIGAYAZINEをつくろうと思ったんですか?
青野:26歳くらいのときからローカルメディアをつくりたいと思っていたんです。当時はフリーランスとして働いていたのですが、地域のPRをするお仕事もしていた時期があって、その頃から興味をもっていました。
――KOSHIGAYAZINEの前にもメディアをつくろうとしていたのですね。
青野:ただ当時は、メディアをつくるためのスキルが足りていないと感じていて、納得できるものがつくれなそうだな、と思って途中で諦めちゃったんですよね。
その後はしばらく、個人ブログの運営はしていましたが、メディアをつくるための活動はしていませんでした。
そんな時に転機になったのが、母のガンの発覚でした。ちょうど妻が妊娠中、出産予定日の半年前くらいのことです。余命宣告をされるほどの段階での発覚だったので、ひとまず母の看病のためにも越谷にいようと決めたんです。
結果、娘が誕生した翌年に母は亡くなりました。その後も移住するイメージを抱きつづけていたんですが、ふと「地元である越谷のことって、意外と知らないな」と思ったんですね。
埼玉にも地域によってはローカルメディアがあったんですが、越谷にはないなと。だったら自分でつくってみようと思ったのがKOSHIGAYAZINEを立ち上げることにしたきっかけです。
取材をきっかけに「なんにもない街から、なんでもある街」へ
――KOSHIGAYAZINEを立ち上げる背景にそんなエピソードがあったんですね。立ち上げを決めてからは、具体的にどんなアクションを起こしたのですか?
青野:最初の頃は、越谷の観光スポットやカフェを紹介する記事をつくるところからはじめたのですが、いくつか記事をつくっていくうちにインタビューもやってみたいと思うようになりました。
そこで、フリーランス時代によく利用していた「HaLaKe(ハレイク)」っていうコワーキングスペースが越谷レイクタウンにあるのですが、そこを運営をしている登尾徳誠さんに取材を申し込みました。
純粋にHaLakeは、どういう人が運営していて、なんで越谷につくったんだろう?と、素朴な疑問が前からあって、話を聞いてみようと取材を申し込んだんです。
――実際に取材をしてみて、どうでしたか?
青野:とても面白かったです。 そして、HaLakeの取材をきっかけに、もっと話を聞いてみたいと思うようになりました。そして調べてみるといるんですよ。魅力的な人やストーリーを持っている人が本当にたくさん。
例えば、メジャーリーガーから直接オーダーを受けるほどの高品質な野球用品をつくっている職人さんや、全国ネットで紹介されるくらい有名な人が実は越谷で活動していたり。まさに灯台下暗しでした。
取材をしていくうちにいつの間にか、越谷の歴史にも興味を持つようになって調べるようにもなりました。
KOSHIGAYAZINEの活動をはじめたことで、僕にとっての越谷は、「なんにもない街から、なんでもある街」に変わっていきましたね。
――取材をきっかけに越谷のことが好きになったのですね。KOSHIGAYAZINEの読者の反応はどうですか?
青野:越谷に住んでいる人は結構見てくれていますね。あと、「越谷に住みたくなった」っていう、うれしいコメントをSNS上でいただけたりとか。
――住みたくなるって、めっちゃうれしい反響ですね。
青野:はい。住みたいって思えるような、ストーリーを読者に届けられていると思うと、とてもうれしいですね。
KOSHIGAYAZINEは「やりたいこと」に挑戦できる場所
――KOSHIGAYAZINEの運営は今も1人でしているのですか?
青野:現在は副編集長の藤田くんと2人で運営しています。その他、パートナーとしてライター、デザイナー、マーケター、データサイエンティストもいますね。関わってくれている人は総勢で10名ほどいます。越谷にゆかりのある人がほとんどです。
――想像以上にメンバーが多くて驚きました。地元にメディアがあると複業をやってみたい人のチャレンジの場にもなりそうですし、いいですね。
青野:どうしても本業だといろんな制約があって、試せないことってあるじゃないですか。KOSHIGAYAZINEでは、やりたいことが試せるチーム・組織づくりにもチャレンジしているんです。同じ地元なら、親睦も深めやすいですしね。
――素晴らしいですね。チャレンジしている理由を教えてもらえますか?
僕自身、ティール組織・自走する組織に興味があって、個々は独立しているけど、プロジェクト単位で必要な時に集まって、終了したら解散する形の働き方。終身雇用がほぼ望めない時代なので、そういう新しい働き方が求められてくると思っています。
そこで、どうすれば自走する組織をつくることができるのかを学ぶために、KOSHIGAYAZINEを実験の場としてチャレンジしています。
――なるほど。ちなみに、藤田さんはどういう経緯でKOSHIGAYAZINEの副編集長になったのですか?
【自己紹介】越谷の藤田昂平と申します。
藤田 昂平さん(以下、藤田):KOSHIGAYAZINEで副編集長をする前は、世界一周の旅をしていました。そして、旅を通して様々な経験をした結果、越谷のためになにかしたいと思うようになったんです。そんな時に出会ったのがKOSHIGAYAZINEで公開されていた、「つると」の紹介記事でした。
つるとの記事を読んで、こんな良いところや人たちが越谷にあるんだ!いるんだ!って感動したんです。そして、自分も関わりたくなって、ダメ元で青野さんに「未経験でライター経験ないけど、やりたいです!」って連絡してみたら、全然良いよって言ってもらえて、一緒に活動することになりました。
――実際に活動してみてどうですか?
藤田:KOSHIGAYAZINEで活動をする良いところは、青野さんからトップダウンでなにかをする、という形でなく、自分の希望するテーマや内容で活動させてくれるところですね。
例えば僕の場合、越谷では知るひとぞ知る、「虹だんご」っていうだんご屋さんがあるんですけど、実は数年前は廃業寸前だったお店なんです。その「虹だんご」を救った常連の3兄弟のストーリーを記事にしたいって提案したら、すぐにOKもらえて、記事として公開させてもらいました。
「虹だんご」を越谷の名物に。廃業寸前…先代の味を守った3兄弟の想い
――やりたいことにチャレンジできるチームっていいですね。
青野:皆、自発的にいろいろ提案してくれるんですよ。例えば今、K Curryっていうカップカレーの商品プロジェクトを進めているんですけど、ホームページのラフをつくってきてくれるメンバーとか。その他でも、KOSHIGAYAZINEのブランディング写真を僕ら以上に構図とかこだわって検討してくれるメンバーもいます。
複業の醍醐味って、やりたいことに挑戦できることだと思います。この場所も受け身の姿勢の人にとっては、居心地があまりよくないかもしれません。KOSHIGAYAZINEは関わってくれている人がやりたいことに挑戦できるプラットフォームにもしていきたいですね。
取材での出会いが活動の幅を広げるきっかけに
――いやしかし、藤田さんのように、つくった記事をきっかけに仲間や活動の輪が広がって行く感じ、とても良いですね。
青野:そうなんですよ。取材で出会った人や記事を見てくれた人のご縁で、どんどんKOSHIGAYAZINEの活動の幅が広がってますね。本当にありがたいです。
例えば、越谷の未来を考えるトークイベント「越谷ミライトーク」っていうイベントを定期的に開催しているのですが、きっかけは、藤田くんがさっき紹介してくれた「つると」への取材がきっかけだったりします。
他にもKOSHIGAYA PHOTO WALKっていう越谷の風景を撮影しながら散歩するイベントを企画し、毎月スポットを変えて実施しているんです。
地元に特化しているからこそ、良い関係性が築けていると思いますし、取材を通して、取材した人と親睦を深めることにもつながっているので、とても良い循環ができていると感じています。
展望は越谷市に新しいマーケットをつくること
――KOSHIGAYAZINEの今後の展開を教えてもらえますか?
青野:KOSHIGAYAZINEの活動を通して、越谷に新しいマーケットをつくっていきたいですね。メディアがあるところにマーケットが生まれると思っていて、KOSHIGAYAZINEで、職人・食・レイクタウン・歴史といったコンテンツを発信し続けていくことで、越谷に新しいマーケットが生まれたらいいな思います。
そのために、情報の編集・加工力をより高めていって、越谷という街をよりおしゃれにデザインしていきたいですし、最終的には、他の市とも連携した取り組みにもチャレンジしたいです。
越谷って、江戸時代には日光街道3番目の宿場町として、結構栄えていたそうなんですよ。そして、徳川家康も好きなまちだったらしく、「越谷御殿」という別荘のような場所をつくって、しばしば遊びにきていたそうです。
その徳川家康が街道を整備して、人の往来を解放したように、地域のコミュニティづくりや各地との交流を通じて越谷という街の可能性を広げていきたいですね。
まずは地元に「前向き」に目を向けることが大事
――最後にこれから、複業で地元を盛り上げていきたいと思っている方にアドバイスいただけると幸いです!
青野:僕も、ローカルメディアをはじめて日が浅く、偉そうなことは言えませんが、まずは自分が好きな場所や地域に目を向けてみることが大事だと思います。どこの地元もなんもないって言うけど、絶対にあるんですよ。自分の態度をまずは前向きに変えることがスタートだと思います。
そして、気になる、印象に残る発見があった場合はブログやSNSで紹介するところから小さくはじめてみるといいんではないでしょうか。
紹介した内容がたまっていくとそれがメディアやコンテンツになったり、新しい人との出会いに繋がるといった化学反応も起こると思います。そしたら、きっと地元が今より好きになっていくと思います!
――本日はありがとうございました!
カップカレーで「越谷のストーリー」を“味わう”!KOSHIGAYAZINEがゴーストレストランで「K Curry Project」
「越谷のミライ」をテーマに各分野のトップランナーと語り合うトークイベント:越谷ミライトーク
埼玉県越谷市のローカルストーリーメディア「KOSHIGAYAZINE」:https://postcitykoshigaya.jp
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KOSHIGAYAZINE編集長:https://twitter.com/yuji_blfd
取材・記事執筆:ジョン・マッツー(https://twitter.com/your_no2)
写真:藤田昂平(https://twitter.com/kouhei_fjt)
取材場所:CAFE803(https://www.cafe803.com/)