「営業を学問にする」|福山敦士がパラレルワークを実践する理由

「営業を学問にする」|福山敦士がパラレルワークを実践する理由

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こんな内容の記事です!
・「営業を学問にする」という目標のためにパラレルワークを実践している福山さんのインタビュー記事
・パラレルワークのコツは「動作一定」にすること
・やりたいことは「見つかる」のではなく、「決める」ことが大事
・これからはやりたい仕事しか残らない。YKK(やって・感じて・考える)でまずは挑戦してみよう

こんにちは。「あなたのNo.2」ことジョン・マッツーです。

No.2ではパラレルワーカーの方をご紹介することで、これからパラレルワークで夢や目標を追いたい方へのヒントを提供しています。

今回ご紹介する人は、経営者や人事部長として働きつつ、大学院講師やビジネス書作家としても活躍している福山敦士さんです。

「営業を学問にする」という目標のためにパラレルワークを実践している福山さんにご自身の活動とこれからパラレルワークを実践したい人のためにアドバイスを伺いました。


ショーケース・ティービー執行役員/レーザービーム会長/ビジネス書作家
慶應義塾大学環境情報学部を卒業。新卒でサイバーエージェントに入社後、1年目からグループ会社の起ち上げに参画し、新人賞受賞。
実行力を飛躍的にUPさせる画期的な「目標設定法」を編み出し「1ヶ月100件アポ」を3年間続け、セールス記録を更新する。25歳でグループ会社の取締役に就任。営業部長を兼任し、3年で売り上げ10億円の達成に貢献する。27歳で独立し、株式会社レーザービーム代表取締役に就任。クラウドソーシングサービスを起ち上げ、28歳で東証一部上場企業の株式会社ショーケース・ティービーに事業譲渡。29歳で同社最年少執行役員に就任。20代で2度のM&Aを実行。「営業を学問にする」活動の一環として2018年から大学院にて講師を務める。学生時代は野球ひと筋。高校時代は甲子園ベスト8。著書に『自分を動かす技術(すばる舎)』『1年でトップ営業に駆け上がるための54のリスト(大和書房)』『成功する人は1年で成果を出してくる(三笠書房)』

「営業」の学問を作るためにパラレルワーカーとして活動中

―現在の活動内容を教えてください

レーザービームというスタートアップ企業の経営と、ショーケース・ティービーという上場会社で人事本部/HR Tech事業領域を担当しつつ、大学院講師やビジネス書作家として活動しています。

「営業を学問にする」ことを目標にしていて、2025年までに高等教育のカリキュラムにすることを目指しています。

―「営業を学問にする」ですか、それは凄い目標ですね!

「営業=ビジネスを前提としたコミュニケーション」だと思っています。

営業のスキル(問題を発見すること・解決の方法を考え実行すること)は社会に出てから必要になるケースがほとんどです。

現状の学校教育では、そういう社会で活躍するために必要なスキルが意外とちゃんと学べていないんじゃないかと思います。

僕は、カリキュラムに改善の余地があると考えています。

日本で教育がはじまった起源として、寺子屋など諸説ありますが、その中に戦争に勝つための手段だったという説があります。

命令を聞くための「国語」、鉄砲の数を数えるための「算学(算数)」、長期間戦い続けるための「修身(体育)」がベースであったと言われています。

日清戦争時は、上記3つの教育を施した日本軍が清に勝ったという歴史があります。戦争の是非は別の議論として、目的を達成するための手段としての教育とは、こういうことだったのです。

これを現代にあてはめると、「社会で活躍する」という目的において、今の教育がマッチしていない部分、噛み合っていない部分があるように感じます。

具体的には「受験戦争」「就活戦争」のための教育カリキュラム、教育体制になっている面が否めません。

かくいう僕も、受験戦争を戦ってきた背景がありますし、大学時代は、受験塾で塾講師をやっていました。それはそれで機能している気がしています。

ただし、受験戦争、就活戦争勝ち上がってきた人たちは、全員が全員活躍しているかと言えば、そうとも言い切れないことが多いと感じます。

日本は少子高齢化社会がどんどん進みます。

我々若者世代は、親父の世代と同じようなペースで成果を出すだけでは足りません。

もっと早く合理的に、無駄なくパフォーマンスを発揮することが求められます。というか、そうしないと日本は右肩下がりのままです。

社会で活躍するための教育として、「営業」という学問が一つの試金石になると信じています。

「営業」を、国語数学理科社会と並ぶような科目にしてしまって、学生が数学と同じように営業を学んで社会に出てもらえれば、より日本経済の発展に寄与できるんじゃないかなって考えています。

そのための布石として、2018年から大学院で講座を持たせてもらっています。

まだ文科省の認定がおりた科目にはなっていませんが、実績を作り、アプローチ可能な状態に早急に仕上げます。

そのほか、2019年からは別の企業で先生向けのビジネス講座を開講することにします。

生徒と伴走する先生の知見を広げることも、仕組み化する必要があると考えております。ここもすぐに実績を作り、一般化させます。

―確かに今の教育は社会で活躍するためだとすると、改善の余地がありそうですね。そこまで考えて行動に移しているとは正直、びっくりしました。

あとはある種の負け惜しみもあるんですけどね(笑)

―負け惜しみですか(笑)具体的には誰と勝負をしていたんですか?

独立する前はサイバーエージェントに勤めていたんですが、独立当初はサーバーエージェントに勝つ!という目標を掲げていました。

でも、段々とサイバーエージェントに勝てる気がしなくなりました。
諦めてはいませんが、目標が高すぎて若干疲弊してしまいました。
今の状態で、同じ土俵で勝負しても勝てないなと。

なので、別のゴールを作ってまずはそこの領域で勝とうと思ったんです。

具体的にいうと、サイバーエージェントに勤めていた頃に教育事業を提案したことがあったのですが、「ビジネスにならない」という理由で採用されませんでした。

ならそれを逆手にとって、彼らが参入していない教育でかつ、ビジネスではなく学問の領域をゴールにしよう考えました。そしてそこで歴史に名前を残せたら勝ったと言えるかなと思って。

教育の領域で名を残すとなると革新的、一撃必殺的ななにかを残すことが大事なので、「ならば学問を作ろう!」と思い立ったんです。

―相当な負けず嫌いですね(笑)ちなみに「営業」の学問を作るプロセスもイメージはあるんですか?

ビジネスを学問にするので、自分がビジネスの現場で結果を出せていないと説得力がない。

なので、そこは全力でやります。具体的には 33歳までに100億円企業を作ります。結果を出して、その経験を言葉として教科書に落とし込み、伝えていくようにしています。

僕は「背中と言葉」とよく表現するのですが、背中の結果が無ければ、言葉(理論)の重みがないと思っています。

実態の伴わない理屈に価値はないと思っているので、背中(結果)を大切にしています。

ただ、自分だけができても、それでは理論化はできないので、言葉にする努力を惜しみません。出版活動はその一環です。

現在は「背中」の活動として、レーザービームやショーケース・ティービーで営業の動作を通じて結果を出しつつ、「言葉」の活動として大学院の講師とビジネス書作家のパラレルワーカーとして活動をしています。

パラレルワークのコツは「動作一定」にすること

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―学問を作るためにパラレルワークを実践しているとのことですが、4つの仕事を同時並行でこなすのは大変じゃないですか?

「動作一定」にすることがパラレルワークで仕事を進めるコツだと思います。
動作が一定、つまりやることは変わらないんだけど、アウトプットの形が複数あるという状態です。

ワンアクションで複数のアウトプットを出すことができれば、精神的に楽になるんです。頑張っている感じはないけど2倍結果が出せている状態になります。

具体的にお話すると、自分の場合は「営業」という一定の動作をしていて、アウトプットが会社の経営や人事部長としての活動、講師・書籍だったりします。

―経営者や人事はイメージが湧くのですが、講師や書籍も営業と関係があるのですか?

営業のコアとは、お客様の問題発見と解決です。そのため、お客様の課題を聞くこと、解決するための提案を伝えることが営業の動作になります。

例えば経営者としては、ビジネスの課題を解決するために事業を作る。

人事としては、社員をお客さんとし、彼らの課題を発見し、解決するために制度を作る。

また、講師としての活動も学生の悩みや疑問に答えるという動作を行っているだけですし、ビジネス書作家の活動についても、読者の悩みを解決するために本という処方箋を提供しているような気持ちでやっています。

本を企画する段階では、出版社をお客さんとし、出版社の売上貢献をするための書籍を考え、提案させて頂いております。

全て「営業という動作」に他ならないと自分の中では定義しています。

―動作は同じでアウトプット先を変えるという発想はありませんでした。いつ頃からその考え方を身につけたのですか?

きっかけを挙げるとすれば大学時代でしょうか。

小学校から高校までずっとプロを目指して野球をしていましたが、高校時代プロになるのは無理だなって思ったんです。甲子園にも出場しましたが、同世代の選手が凄すぎて、勝てないと思う人がたくさんいすぎて。

その頃から「プロにいけないなら、野球の経験をなにかにいかさないと親に申し訳ないな」と思うようになったんです。また、1つの分野で勝てないなら複数ポジションで選ばれる人になろうと思うようにもなりました。

そんな経緯もあり、大学に入ってからは研究と野球、どちらの結果も残そうと思ったのですが、性格的に不器用で、1つのことしかできなかったので、いっそのこと研究と野球の活動が1つの動作でできるようにと考えるようになりました。

―なるほど。具体的にはどんなアクションをしていたのですか?

具体的には、野球部の活動を研究の対象にしました。野球部で成果を出すことが究極の研究だと思って活動しました。

人工知能、認知科学領域の研究会だったのですが、監督的役割である自分自身がどう成長するか?ということを研究していました。

会話をログにとったり、自分の話した内容も録音したりしてデータを集めて分析をしながら。

そうすることで、どちらの活動も相乗効果を生むようになって、結果的に野球部では57年ぶりの全国大会への出場を果たし、研究も学部生としてはじめて学会発表をするという結果を残すことができました。

ちなみに「動作一定」の考え方は、今の家族生活にも生かされているんです。

「家庭と仕事どちらが大事?」という課題に対し、僕は両立したかった。

でも両方に50:50の力を割くのは、両方半端になる気がしていました。両方100以上の成果を出すために、奥さんに会社の取締役に就任してもらいました。

担当業務は請求書とご飯を作るという役割です(笑)。

仕事というアクションで家庭と仕事の成果が共通となりました。結果として、両方順調なので、個人的にこの考え方は勝ちパターンだと思っていますね。

やりたいことは「見つかる」のではなく「決める」ことが大事

―今後、パラレルワーカーを目指す人にアドバイスをお願いします

やりたいことは「見つかる」でなく、「決める」ことですね。

「やりたいこと見つからないかな」と、受け身でいると選択肢がいくつも出てきてしまい、行動に移せなくなってしまいます。

程度はあれど「やりたいこと」は既にいくつもあるはずで、どれにするか、どれから着手するか、決められてないケースがほとんどだからです。

やりたいことは、全部やっちゃえばいいと思います。それが無理だと思うなら、優先度を決めることをオススメします。優先度を決めないから、やりたいことがみつからないといってしまうのではないでしょうか。

まずは決めてやってみて、あとから改善していく方法をオススメします。

自分自身も最初は「本当に教育がやりたいのか?」というと、ハッキリとは言い切れない状態からスタートしましたが、それでも会う人会う人に言い続けた結果、段々本気になってきました。

いろんな方にお引き合わせいただく機会が増えて、目の前のチャンスがチャンスと認識できるようになりました。

そして宣言&行動を続けた結果「学問を作る」という目標を定義することができました。わずかながら一歩ずつ実現に近づけています。

よくPDCAが大事と言いますが、今の先が読みにくい世の中では、P(計画)が一番難しいんですよね。

最近では、DCPAが大事という人も増えてきましたが、僕がいつも伝えているのはもっとシンプルにYKK(やって・感じて・考える)でいいと思っています。

特に今後はやりたいことがある人しか生き残れない時代になっていきます。

既に仕事がどんどん機械に代替されていってきています。そうなると「やりたいと思う仕事」しか残らなくなるんです。機械の得意技が、人間のやりたくない仕事の代替だからです。

今のうちから「やりたいことを決める回数」を増やすことを推奨します。

今後の展望・ゴールは「1万円札の顔になる」こと

―最後に今後の展望などあれば教えてください

今は2025年までに「営業という学問を作る」という目標を設定していますが、その先のゴールは1万円札の顔になることなんです。

―またそれはすごいゴールですね(笑)
予定では150年ほどかかる予定なんですけどね。福沢諭吉先生が1万円札の顔になったのも死後83年経ってからなので。 

自分の父や祖父が60代で亡くなっているので、自分もそう長くは生きられないって思っているんです。

姓名判断的には80代まで生きると言われたので、保険を見直さなきゃとか思っているのですが(笑)

でも1万円札の顔になるというゴールは自分が死んだあともWebや本などで文献を残しておけばたとえ自分が死んだとしても勝負ができるんです。

なので予定では、60代までに自分がやれることは形に残し、そのあとは教え子に自分のことを語り継いでもらえたらいいなって思っています。

そのためにまずは「営業」の学問を作るために「背中と言葉」の実践を今後も続けていければと思います。

取材を終えて

福山さんのインタビュー、いかがだったでしょうか。

自分自身が達成したい目標のためにパラレルワークで働くというのは、これからの世の中では必要になってくる考え方なのではないかと感じました。

福山さんがおっしゃる通り、これからはやりたい仕事しか残らない世の中になってくると思います。

いざ、そういう世の中になってから考えるのも良いとは思いますが、今のうちから、YKK(やって・感じて・考える)の精神でとりあえずやりたいことを決めてやってみるというのは良いかもですね^^

今回、記事にさせていただいた内容以外にも福山さんの実践を通して学んできた仕事に対する考え方やノウハウはとてもタメになるものばかりでした。

福山さんのエッセンスがぎっしり詰まった新しい本も出版されているので、ぜひチェックしてみてくださいね。

実際自分でも読んでみましたが、次の日から試してみたくなるような内容ばかりでおすすめですよ!

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No2はパラレルキャリアを実践している方を応援しています。

取材のご依頼、または周りにパラレルワーカーとして活動している方がいたら、ぜひ教えてください!

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